8年目にして、ようやく我が子を胸に抱く事が出来ました | 大阪の不妊鍼灸治療 | 辻野夢鍼灸院

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患者様の声

Nさん 41歳

8年目にして、ようやく我が子を胸に抱く事が出来ました

この度、無事、女の子を出産致しました!!!
本当に、本当に、この日を迎えるまで、長い間ずっと支えて下さり、ありがとうございました。
結婚して、8年目にして、ようやく我が子を胸に抱く事が出来・・・今でもまだ夢を見ているような気持ちです。
ここに辿り着くまで、何度も何度も力強く励まして頂き、「絶対妊娠出来るから大丈夫!!」と声を掛けて下さり、治療を懸命にしてくださる皆様のお陰で、挫けそうになっても諦めずに、長い不妊治療の道のりを乗り越える事が出来ました。
本当にありがとうございました。

破水して、入院の荷物を用意した時、荷物の中に「移植の日にピッキングして、少し中身が出始めている胚盤胞の写真」を忍ばせました。
あの日の胚盤胞が、私のお腹の中で成長して、もうすぐ赤ちゃんの姿になって会える瞬間がやって来るんだ・・・
神秘的で、奇跡的で・・・ずっとずっと何年も夢見た瞬間まで後少し。あの写真がお守りの様に思えました。

今年に入って、父の容態が悪化し、移植の予定日の前々日に父の葬儀を執り行い、病院での泊まり込みで身体のコンディションも悪く、精神的にも一人になると涙が止まらない日々で・・・
こんな最悪の状態で移植をしても、きっと上手く行かないだろうな・・・と思う反面、もしかしたら、父が力を借してくれるかもしれない!!という思いもありました。
移植当日、裕子先生が「最後のNOEをあてるからおいで!!」と言って下さり、道中こちらに先に寄りました。
私の父への思い、移植への不安、色んなものをひっくるめて受け止めて下さり、私の為に一生懸命最後のNOEをして下さりました。
思いがどんどん伝わって来て、身体も心も温かくなって、移植へ送り出して下さいました。あの日の事は忘れられません。
移植前に始めて胚盤胞の写真を見せて頂き、ついに移植。
思ったよりあっという間で・・・上手く着床するだろうか・・・と、何となくソロリソロリと歩いて帰ったと思います。
判定の日・・・まさかの陽性!!!先生から笑顔で「おめでとう」と言われた瞬間、涙が止まりませんでした。裕子先生に帰り道にメールを送るとすぐに電話が・・・一緒に泣いて下さりました。

妊娠後もこちらでNOEをあてて頂き、ずい分お腹が大きくなるまでお世話になりました。お陰で赤ちゃんはスクスク大きくなって、後半の検診では毎回肥大児曲線に片足をつっ込み・・・(笑)
「産むのは大変やと思うよー。頭囲も胴囲も大きいから!その代わり産んだ後に育て易いと思うよ!これだけしっかりしてたら!」と言われる位、順調に大きくなりました。

しかし、予告されていた通り・・・「産むのは大変」なお産になりました(笑)
破水した翌朝の診察で子宮口はまだ1.5cm、入口も硬く、軽く促進剤も併用する事に。5分おき位の一定のリズムに陣痛が。
夕方4時頃再度診察。子宮口7cm!!
私は「あと少し!!」と思ったのも束の間、「促進剤を一旦ここで止めてゆっくりお産が進むようにしましょうか。夜中に産むより、朝の方がスタッフや医師の数が多くリスクは下がるから。」
41歳の初産で、ひとつでも減らせるリスクは減らしたい。
この痛みにもう一晩耐えるのか・・・長丁場が予想されたが覚悟を決めて・・・1分おきになって来る陣痛を氷遠に逃す作業を生きを吐き続けることで乗り越えた。

翌朝9時頃、再び診察。
「子宮口全開やね!!入口も全方位柔らかい!!」
「やったー!!!」と思った次の瞬間・・・
「ただ角度が・・・あと少し回って欲しいんだよねぇ。旋回不足。どっち向いてるかが、かなり重要なんだけど・・・引っかかるからなぁ。まぁ、右下にして寝てみたり、四つん這いになってみたり・・・してみようか。とにかく分娩室に移動して!」
「やったー!!!!かなり不安要素は多いけど、分娩室に移動していいのよの一言で力が湧いて来た。」
2晩の陣痛を乗り越え、2日間飲まず食わず、熱も既に丸2日38℃を越えて、嘔吐をしても胃液しか出ず、排尿も自力では出来ない状態にまで追い込まれていたのに、元気が湧くなんて・・・
「赤ちゃんにもうすぐ会える」という気持ちは凄い。
しかし分娩室に移動してからあれよあれよで4時間が過ぎた。
私の陣痛のピークに合わせて一人の医師が全体重をお腹の上に乗せて来るのを全力で力んで押し返す。子宮口の辺りでそのタイミングに合わせてもう一人の医師と助産師さんが赤ちゃんを何とか取り出そうと懸命にトライしてくれている。「頭に触れているのに!」と聞こえてから既に何時間が経っていたのか・・・
医師の方々と助産師の方々が集まって相談を始めた。
「こんなに長い時間、頑張って来てくれたけど、赤ちゃんの旋回不足であと少しが届かない。頭の小さい子や小さな赤ちゃんだったらこの角度で出るんだけど・・・吸引するにもあと少し届かないし、破水してからのタイムリミットとお母さんの炎症反応の状態も考えて・・・帝王切開に切り替えようか。」
「お任せします!!赤ちゃんが無事産まれるなら、私は何でも大丈夫です!!」と即答した。それ以外何も望むことは無かった。

すぐにオペ室に運ばれ麻酔、手の感覚と意識だけ残って胸から下の感覚が一瞬で無くなった。天井のライトにぼんやりとだけオペの様子が映っている。
オペ開始からたったの10分。突然自分のお腹の中からズルっと赤ちゃんの様な物が取り出されるのが見えた。「え?もう!!?早い!!!」驚いた10病後位に遠くからオギャーオギャーと産声が聞こえた。
涙が溢れた。麻酔科の方が、腕を固定されて動けない私の代わりにそっと涙を拭いてくれた。

赤ちゃんは、呼吸が少し早いとの事で 、すぐに保育器に連れて行かれるとの事だった。一瞬見えた赤ちゃんの姿・・・「元気ならそれだけで十分!!明日には会える!!」と思った瞬間、赤ちゃんを一瞬私の顔の横に連れて来てくれた。縛られた腕で、少しだけ触れた。再び涙が止まらなかった。
「産まれた後、自分の身体の上に2時間乗せるカンガルーケア」を夢見てこの3日頑張って来たが、私と赤ちゃんの出会いは「ほんの10秒、少し触れるだけ」になった。その分、私は本当にこの3日間、たくさんの方に支えられた出産を経験出来た。
先生方も、看護師さん達も、助産師さん達も、オペ室の方々も、本当に素敵な方ばかりで、痛みと戦ってる時も、泣きそうに辛い瞬間も、全部一緒に乗り越えてくれて、支えてくれて、その時その時の状況に合わせて判断して、最善を尽くしてくれた。
ずっと私に声を掛けて下さり、お陰で常に何の不安もなく、全てを委ねてお産に集中出来た。
「36時間の陣痛に耐え抜いたのに、最後は帝王切開」というハードな出産になったけど(笑)。
この向こうにあった物・・・今、目の前にいる赤ちゃん。この為に私は頑張ってたんだなぁと思うと、もっと頑張れる気さえして来る。

部屋に訪ねて来てくれる先生方や看護師さん、助産師さん、
皆が「本当にあの長い時間よく一度も泣き言言わずに耐えたね!」
「あの状況から急にオペと言われても、ずっと冷静に対応してましたね!」
「一度もパニックにならずに36時間よく頑張ったね!」と口々に褒めてくれるけど・・・
どんなに長い出産も、何年も続く「授かれない心の痛み」よりは短く、痛みも種類は違うがずっと痛いように思う。
8年の不妊治療を乗り越えた後だったから、このハードな出産も乗り越えられたのかもしれない。
この一番辛い「授かるまでの時間」を支え続けて下さった院長先生、裕子先生、スタッフの皆様には、本当に本当に心から感謝しています。
眼の前にいる我が子と、オペの2日後、初めてベッドで2人きりになって・・・・私の目をじーっと見て、私の人差し指を左手で目いっぱい握ってくれた時、ようやく実感が湧いて来て、次から次に涙が溢れて来て止まりませんでした。こんな瞬間が訪れるなんて・・・
今でも夢を見ている様です。
今まで「授かるまでの時間」を懸命に戦っている方々にも、きっとこの瞬間が訪れる事を心から願っています。

上手く言葉が見つからず、月次では月並みな言葉になってしまいますが、本当に今まで長い間、一緒に戦って下さってありがとうございました。
心から感謝しています。

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